今日は武田家の惨劇物語!

甲斐の虎、風林火山と言えば武田信玄!そう言えば、天下布武隊に武田の末えいがいた気がするが・・・・おおおおーー「真田幸村」をしてる輩がたしか・・・
 じゃが、これから書くのは事実じゃ。武田信玄と言えば三方が原の戦いで家康を敗り、信長も恐れていたという戦いの天才のイメージがあります。戦わずして勝つ!それがベストだと言う孫子の教えを忠実に守り、最小限の犠牲で領地を増やしました。その一方、金山を開発したり、川の治水などにも力を入れ「信玄堤」というのもあり、内政なども力を発揮しました。いいイメージの信玄ですが
20歳の時父親を追放してます。(信長はそんな事はしていない)諏訪氏、大井氏、高遠氏など次々に打ち破り、志賀城を攻めようと言う時、現在の佐久市ですが、佐久衆という反骨精神満載の地侍たちが従おうとしなかったのです。そして、上杉憲政に援軍をたのみます。上杉は結局、板垣と甘利に激戦の上敗れます。この時打ち取った首を城の前に並べました。精神的にまいるだろうと思ってやったのですが・・・・効果は反対でした。しかし、水路もたたれ、上杉軍も敗れた今、勝ち目はなく総攻撃をかけられ落城します。城主の妻は手柄のあった、小山田の正室にさせられ、女は女郎に売られ、残った捕虜は金山で労働者としてこき使われました。信玄の経済面を支えていたのは、捕虜たちかもしれません。
 しかし、信玄、死後、勝頼の代に変わると、織田、徳川連合軍に大敗します。武田家は見る見る、勢いを失い勝頼は黒川金山を閉鎖します。そして、金山にいた遊女たちを集め宴をひらきます。舞台は一之瀬川の流れの上に・・・想像がつきますよね・・・流れの速い滝のような流れの上に舞台・・・宴もたけなわになった瞬間、役人たちが吊るしてあった縄を切ったのです。55人いた遊女達はまっさかさまに落ちました。様は、金山の場所などの口封じと言われてもいますが
この場所は「おいらん淵」「五十五人淵」とも言われ、でるそうです。
    おおーーー怖!かわいそうですな、天下取りの為、目の前にたちはだかる生涯を取り除くならまだしも、口封じとは・・・
        次は卑怯な男、荒木村重でも書こうかな・・・・
  
   新入荷情報!戦国BASARAの風呂敷ですが、飾ってもかっこいいです。
    (定価より、かなり安い値段で提供、3組ずつしかありません。)


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