9人いるのに「賤ヶ岳の七本槍」

織田信長亡き後に起こった織田家内の後継者争いで、主君の仇を討った羽柴(豊臣)秀吉と、織田家・筆頭家老の柴田勝家との賤ヶ岳の合戦がありました。
福島正則加藤清正加藤嘉明(よしあき)・片桐且元(かつもと)・脇坂安治(やすはる)・平野長泰(ながやす)・糟屋助右衛門尉(かすやすけえもんのじょう)・桜井佐吉石河兵助の9人で、なぜか9人なのに七本槍・・・
もともと「○○の七本槍」というくくりに関しては、織田信秀今川義元が戦った小豆坂の合戦で、勇猛果敢に活躍した織田方の七人を「小豆坂の七本槍」と呼んだのがはじまりだそうで、その後も、「姉川七本槍」などもあったわけですが、なんとなく響きがいい?と言う事でしょうか・・

そもそも七本槍が最初に登場するのは、『太閤記』で、ここでは桜井と石河を除く七人が七本槍として登場します・・・つまり、ここでの人数はちゃんと7人だったわけです。しかし、なぜ2人が消された?と言う事ですが・・・・・
七本槍の7人は、いわゆる秀吉の直臣・・・しかし、桜井と石河は、弟の家臣だったり養子の家臣だったりするので、この二人を外した?・・・ということ。
しかし、七本槍として有名どころとなった7人も、糟屋さんは関ヶ原で西軍について、早くも没落・・・
福島正則広島城の修復工事を咎められて改易・・・
加藤清正の加藤家は松平忠長がらみで取り潰され、
片桐且元も徳川と豊臣の板ばさみで苦労し、
残りの3人・・・加藤・脇坂・平野の三家だけが、徳川幕府の下で江戸時代を過ごし、明治になるまで大名として存続されました。
  と言う事です。