真田幸村推参!

父、昌幸と幸村は九度山に幽閉されてから11年あまり、昌幸が亡くなる。その3年後、徳川、豊臣手切れの話が幸村に舞い込み、村人を味方につけ、幸村が大阪城へはいったのがその年、10月10日、48歳の時である。そして、いよいよ大坂冬の陣が切っておとされる。みなさんご存知半月形の真田丸。そして家康は未曾有の30万の大軍で取り囲む、しかし、火薬桶が真田丸の中で暴発する。東軍は総攻撃の合図とまちがえおそいかかる。が真田丸空堀ですべて打ち砕かれる。幸村は小さい頃春日山において人質生活を送っているがここで直江兼続に「人質とはみなさない、客将として迎える」と1千貫の知行をおこなっている。そして、義と言う言葉を考えらせられる。その大命題をかかげ、たどりついたのが上杉謙信である。「目先の利で動けば人は軽んじられる。利を離れたおおやけの志をもつことが人として強く、美しく生きるなによりの道だ」幸村は直江から上杉流の志を教えられそして人生観を大きく変えることとなる。話がそれましたが続きは明日・・・・・・・。では。                     
 真田日本一之兵