続・佐々成政

さて、天下人になろうとした秀吉にたてついたのですから、ただではすみません。秀吉は10万の大軍で越中へ攻め込みますが、これには、佐々もさっさと(シャレです)降伏して領地がなくなります。それでも成政は手柄をたてようと、がんばり、九州征伐で島津を相手に奮闘し、その結果、肥後(熊本)一国を与えられます。この時、秀吉にとりなしてくれたのが秀吉の正室北政所ことねねです。成政はお礼にと越中の高い山でしか取れないめずらしい、黒百合を献上しました。これに喜んだ北政所はお披露目にと茶会を開きます。その席には側室の淀殿(茶々)も呼ばれていました。淀殿は成政から北政所が黒百合をもらった情報を聞きつけ、越中に使いを出し、黒百合を大量に採ってこさせたのです。茶会の三日後、花摘み供養の会のとき淀殿はわざと黒百合を扱い珍しくない花だといわんばかりに見せつけたのです。北政所はありふれた花を珍しがった自分が恥ずかしくなり、一国を与える大名にとりなしてあげたのに・・・と成政を「恩を仇で返して」と考えたのです。そして、成政の領地にて一揆が勃発します。秀吉は成政にいろいろアドバイスをしますが成政は焦ったのか、それを無視して、強引な統治をします。結局、成政の力では抑えきれず、小早川隆景立花宗茂らが援軍してようやく鎮圧します。この責任を問われ、成政は切腹を命じられます。
 この時は北政所も助けてくれず、責める方にまわったのでした。そうです、小百合の呪いです。江戸時代に書かれた太閤記には
  「これも先に成政が手に殺された小百合といへる女の怨念にて 今度黒百合の事より滅亡しけるやと そぞろに怪しむ者も多かりけりとや」
   なんとも、悲しげな 佐々成政でした。              
  次こそは、荒木村重を書きたいと思いますが・・・・・・・