暑い日はビール?戦国とは関係ありませんが

戦国とは関係ありませんが、幕末に登場するビール。紀元前1830年頃、メソポタミアに誕生したバビロニア王国
その六代目の王・ハンムラビによって作られたという世界最古の成文法である、あの『ハンムラビ法典』には、ビールを販売する酒場に関する法律が書かれていて、すでに、この頃には、かなり広く普及していた事がわかります。
書かれている法律を見てみると・・・

「ビール代は、銀ではなく、相当の穀物で受け取る事。
そして、穀物の分量に対してビールの量を減らしてはいけない。」
これに、違反すると、水に投げ込まれるそうです。

「酒場に手配中の犯人が来た時には、かくまってはいけない」
この場合は死刑だそうです。

で、そんな古い時代からあるビールですが、日本に伝わるには、やはり幕末を待たなければなりません。

そして、開国をきっかけに、まずは輸入という形でお目見えします
明治三十二年(1899年)8月4日。
日本人の手による日本人向けのビアホール「恵比寿ビール・ビヤホール」が、東京・銀座に誕生するのです。

レンガ造り2階建ての華麗なるこのビヤホールの一番の目的は、日本麦酒株式会社が、すでに明治二十三年(1890年)2月25日に発売を開始していた、自社製品の「エビスビール」を宣伝する事・・・何せ、未だ多くの人がビールを飲んだ事のない時代ですからね。

そして、その目的は、すぐに達せられます。
開店と同時に、押すな押すなの大盛況!

わずか5年後の明治三十七年(1904年)に、東京・芝に「サッポロビヤホール」が開店する事でも、先のビヤホールの評判が高かった事がわかります。

このあたりから、いよいよ本格的にビールは庶民の友となります。

そして、大正時代に入って、「キリンビヤホール」も誕生し、もはや不動の地位を確保したビール業界でしたが、御多分にもれず、戦時下では「大日本麦酒」と「麒麟麦酒」の2社に統合されるという憂き目にも遭いながら、戦後には見事復活!日本は幕末からビールがあったんですな・・。