暑いのと仕事でばてばてでござる・・・

8月27日、織田信長の軍勢が北近江を支配する浅井長政の本拠地・小谷城への攻撃を開始しました。姉川の合戦で、織田信長徳川家康連合軍に、手痛い敗北をしながらも、本拠地を未だ維持し続けていた越前の朝倉氏と北近江の浅井氏。
しかし、信長は、いよいよ大軍を率いて越前・朝倉氏に狙いを定めます。

慌てて防御の準備をしようと疋壇(ひきた)城に入城する朝倉義景を、織田軍は、すでに待ち受けて攻撃する素早さを見せます。

もちろん、信長は、越前へ攻撃を仕掛ける一方で、朝倉氏と同盟関係にある浅井氏へ策略を張り巡らしておく事も、同時進行で行っていました。

北近江の武将たちに、密かに織田方にくみするよう即していたのです。

その策略が功を奏して、近江山本山城の城主・阿閉貞征(あつじさだゆき)が織田方へ寝返ります。

これを絶好のチャンスと見てとった信長は、すばやく浅井氏の本拠地・小谷城へ主力部隊を向かわせます。

これを知った朝倉義景は、自分自身が応戦しつつも、2万の軍勢を小谷の援軍として派遣します。

その援軍は、小谷城の北側で、織田軍と衝突!激戦が開始されたのもつかの間、織田軍の猛攻撃に耐えられず、やむなく義景が派遣した援軍は敗走します。

勢いに乗った織田軍は、そのまま朝倉勢を追走し、越前へ侵入。
もともと越前で奮闘中の軍と同調し、朝倉義景のいる疋壇城に総攻撃を仕掛けます。

敗色が濃くなって、本拠地・一乗谷へ敗走した義景を追って、さらに一乗谷も攻略し、追い詰められた義景は、自刃。
朝倉氏は滅亡してしまいます。

完全に孤立状態となってしまった小谷の浅井長政・・・。
越前で朝倉義景の最期を見届けた織田軍・主力部隊は、再び近江の小谷城へと舞い戻り、、総攻撃を開始します。

典型的な山城だった小谷城は、黒金門を入ると、大広間→本丸→小丸→局屋敷→中丸→京極丸→山王丸と上に向かって階段状に並んでいるという構造で、攻撃が開始された時は、浅井長政が本丸、父・久政が小丸にて抗戦しました。

この日、織田軍の先鋒を務めたのは羽柴(豊臣)秀吉。

城内へなだれ込んだ羽柴隊は、まず京極丸を占拠して、城内の連絡を絶ち上下を分断させてから久政の守る小丸を攻撃します。
奮闘した久政でしたが、敵の猛攻撃に耐え切れず、その日のうちに自刃してしまいます。

さらに、羽柴隊は、城主・長政のいる本丸へ突入!
翌日に長政も自害して、ここに浅井氏は滅亡します。ところで、そう、この小谷城には、信長の妹・お市がいました。
18歳で浅井長政に嫁いだお市は、織田氏と浅井氏の同盟のための政略結婚ではありましたが、夫婦仲はたいへんむつまじく長男・万福丸と、茶々・初・小督(おごう)という3人の女の子をもうけていました。

長政が自刃するにあたって、お市は夫と共に死ぬ覚悟していましたが、長政の「子供のためにも生きろ!」という説得に、子供たち共々、織田方の手引きで、落城寸前に脱出します。

しかし、お市と3人の娘は助かりますが、長男・万福丸は男子であるが故に、お市の願いも空しく、串刺しの刑に処せられてしまいます。ドラマなんかでは、小六が万福丸を切り捨てますが・・・残った子供3姉妹こそが、近江3姉妹です。来年の大河ドラマですな・・・長いと幸村に言われますのでこれにて。