三矢の訓え

毛利家と言えば、あの「三矢(さんし)の訓(おし)え」=三本の矢の逸話・・・毛利家を、西国の雄に押し上げた毛利元就が、その死を間際にして、3人の息子に言ってきかせた一家団結の教訓です。

「1本だと折れやすい矢も、3本束ねると相当な力を以ってしても折る事ができない・・・だから、兄弟3人で力を合わせて頑張れ」というもので、地元には、3人の息子に、教訓を言ってきかせる元就親子の銅像なんかもあるようですが、残念ながら、このエピソードは後世の創作です。

第一、元就の長男の毛利隆元は、父より先に亡くなっていますので、3人の息子に言いきかせる事はできないわけですから・・・。

それは、まだ隆元が元気だった、元就が、長男・隆元、次男・吉川元春、三男・小早川隆景の3人の息子宛てに「三子(さんし)教訓状」なる書状を送っている事に由来します。

そこには、「3人の間に少しでも亀裂が生じたら、3人とも滅亡すると思え」てな事が書いてあって、この書状の内容がもととなって、3本の矢の逸話が生まれたのです。
実際の、元就の息子たちも、この父の教えをよく守り、父の死後は、若くして亡くなった隆元の息子・毛利輝元を、毛利家の当主として元春と隆景が見事にサポート・・・この二人の名字に川がついていたところから、毛利の両川(りょうせん)と呼ばれていました。長くなるのでこれにて・・・・