今日は七夕ということで・・・・・

「天帝の娘・織女が天の川のほとりで、毎日まじめに機織をする姿を見て、川の西に住むこれまたまじめな牽牛と結婚させた所、恋にうつつをぬかし、まったく機織をしなくなってしまったため、怒った天帝が織女を川の東に連れ戻し、年に一度の七夕の夜にだけ会う事を許した」
というのが一般的なお話です。
「七夕」と書いて「タナバタ」という名称になったのは平安時代の頃からで、あの笹飾りは江戸時代になって登場します。

門戸に立てた葉竹に、歌などを書いた短冊や、帳面や筆、算盤(そろばん)や硯・・・って笹折れるがな!と、思ったら、算盤や硯は張り子の造り物を飾っていたそうです。

寺子屋などでも、弟子たちが、五色の色紙に詩歌などを書いて供えた・・・というように、本来「字がうまくなりますように・・・」というのが、七夕に願う願い事だったのです。

このように、七夕の行事として詩歌を献上する・・・という所から、7月の和風月名を『文月(ふみづき・ふづき)』と呼ぶようになった?らしいです。では・・・