皆さん、秀吉のもう一つの一夜城?

九州を平定して天下統一を目前にした豊臣秀吉に対して、最後に残った大物勢力は、あの北条早雲以来、五代・100年にかけて関東一円を支配してきた北条氏。

その北条氏を討つべく開始された小田原征伐
秀吉は北条氏政・氏直父子の本拠地・小田原城の包囲を完了します。

しかし、この小田原城は天下の名城・・・しかも、周囲の城下町は、総構え(惣郭・そうくるわ)と呼ばれる城壁で町全体が囲まれた城郭都市でした。

武田信玄上杉謙信も落せなかったこの城の情報は、もちろん、秀吉の耳にも入っていますから、はなから相手が籠城作戦に出るであろう事、そうなれば、必ず長期戦になるであろう事は予測していました。

そこで秀吉は、小田原城を見下ろす位置にある標高255mの菅笠山(太閤記では松山)に、対(つい)の城を築く事にします。これが、有名な『石垣山一夜城』です。

菅笠山が後に石垣山と呼ばれるようになる事と、秀吉が一夜にして築いたという伝説からその名がつきました。

しかし、この石垣山城・・・とてもじゃないが一夜で築く事は不可能な本格的な城です。伝説はいろいろありますが・・・一日では無理だと思います。規模的にも・・・・では