今日は信長が茶会を開いていた日です。

当初は兵の準備が整うのは6月の5〜6日で、信長も兵の準備が整って大軍を従えて出発するはずだったのです。

だからこそ、嫡男・信忠と家臣・光秀に「一足先に秀吉のもとへ駆けつけるように」と、出陣命令を出しているわけです。

ところが、なぜか大軍の準備を待たずに、わずかな手勢で京都・本能寺へ5月29日にやってくるのです。

ご存知のように本能寺の変のあった日、その数時間前、本能寺で信長主催の茶会が開かれていた事は有名ですが、そこに堺の豪商たちに混じってある人物が出席していました
それは、博多の豪商・島井宗室(そうしつ)という人物。

実は、当時天下の三大名器と呼ばれた『初花(はつはな)』『新田(にった)』『楢柴(ならしば)』という3つの茶入れがあったのです。

当然、名器集めに没頭していた信長は、このうち二つ『初花』と『新田』を持っていました。

そうです、残り一つの『楢柴』を持っていたのが島井宗室だったのです。

宗室の京都の滞在予定は6月2日までで、現に、その日の夜明け前に起こった本能寺の変を知ってか知らずか6月2日には博多へ旅立っています。

宗室の京都滞在を知った信長が、茶入れの一件から、どうしても宗室とコンタクトを取りたくて、あわてて京にやってきて、本能寺でこの日に茶会を催した・・・とは考えられないでしょうか?

数ある本能寺の変の黒幕説に、“千利休+堺の商人・黒幕説”というのもあります。が、なんにしても、明日は運命の日でもあるのです。今頃、光秀がもんもんとしていることでしょう・・・・では。