みなさん、百虎隊って知ってますか?

京都から追われた長州の討幕派は、新撰組によって徹底的に弾圧された過去があります。その新撰組は、当時、京都守護職だった会津藩松平容保の指揮下にあったわけで、新政府軍にとって会津は、何としてでも倒しておきたい相手だったのです。もちろん、その事は会津も承知・・・徹底抗戦になるのは間違いないとばかりに、新政府軍の来襲に備えて、正規軍を年齢別の4隊に分けて、日々訓練に励んでいました。

50歳以上の玄武(げんぶ)隊
36歳〜49歳の青龍(せいりゅう)隊
18歳〜35歳の朱雀(すざく)隊
そして、15歳〜18歳の若者で構成された白虎(びゃっこ)隊です。

白虎隊の総人数は350人程で、身分の差によって土中白虎隊・寄合白虎隊・足軽白虎隊の3隊に分けられており、それぞれの隊はさらに二中隊に分けられていました。

新政府軍の二本松城攻撃に始まった会津戦争が激烈を極める中、若き白虎隊にも出撃命令が下されます。


ただし、出陣と言っても、彼らはまだまだ若すぎるため、猪苗代湖畔の戸ノ口原方面を守る部隊を陣中見舞いする藩主の松平容保を護衛するという役目でした。

従うのは、土中白虎隊の二番中隊の彼ら・・・。

ところが、道を進むうち、戸ノ口原の部隊から、緊急の援軍要請が入ります。

どうやら、現地は、一触即発の状態になっているようで、それならば・・・と、とにかく若い彼らが即行、現地へ先に向かう事に・・・。

着いてみると、確かに緊迫状態・・・しかし、ここで、彼らは兵糧を持たずに出発してしまった事に気づき、隊長の日向内記(ひなたないき)が、食糧調達のために隊を離れますが、行ったっきりで、なかなか帰ってきません。

やがて始まった戦闘・・・西洋式の最新鋭の装備を持った新政府軍相手に、旧式の軍隊しか持たない会津はたちまち劣勢となってしまいます。

大混乱の中、血気盛んな白虎隊は、焦らされる事に我慢ができず、隊長がいないまま我先に勝手な行動に出てしまい、敵の一斉攻撃のターゲットとなってしまいます。

大混乱がさらに大混乱となって、もはや戦うどころではなくなった彼らは、とにかく二手に分かれて逃走・・・その半分の19名は、山道を這うように、一路、会津鶴ヶ城へと向かいました。

鶴ヶ城へ戻れば何とかなる・・・そして、もう一度、出陣して、次は必ず敵を討つ!」

そう、心に言いきかし、険しい山中を行く19名の少年たち・・・やがて洞穴を抜けて、飯盛山までたどりつきました。

飯盛山まで来れば、鶴ヶ城は目の前です。

「助かった・・・」と、ホッとしながら、山頂から眼下に広がる城下を眺めた彼らが見たものは・・・煙に包まれる鶴ヶ城でした。

すべては終った・・・」
「わが城は落城した」

愕然とする少年たち・・・。

誰からともなく
「主君の後を追おう・・」
という声があがります。

まだ、あどけなさの残る若い彼ら・・・誰も、その行動を止める者はいませんでした。

かくして、彼ら19名・・・ある者は自らの腹を裂いて自刃し、ある者はお互いをその刀で斬り、散っていったのでした。
この時点では、まだ、鶴ヶ城は落城していないし、主君・容保も無事でした。
城下の民家が燃えた煙が風になびいて、飯盛山から見ると、鶴ヶ城が炎上しているように見えていただけだったのです。東の新撰組とまではいきませんが・・
今日はこんなところで。