5月30日は・・・

オアシスパークに出店するのですが、BASARA商品を作っているメーカーが来てサムライ本舗ブースで売るかもしれません。確定ではありませぬが・・お知らせまでに。今日は首が痛くて頭痛がするでござる。さて、今日は私が尊敬する織田信長の誕生日です。織田信長、魔王と言う印象がありますが実はものすごく合理的人物であります。尾張戦国大名織田信秀の次男として生まれますが、お母さんの土田御前が信秀の正室であるため嫡男という事になり、2歳という若さで那古屋城主となります。吉法師と呼ばれた少年時代は、ワル仲間のボスとして、相撲や戦争ごっこをして尾張の隅々をあばれまわり、「うつけ者」と呼ばれていたのは有名な話です。

しかし、今となっては、この「うつけ」がただの「うつけ」でなかった事はもう、皆さんご承知の通りです。

仲間を引き連れて走りまわった領内でその地理を学び、戦争ごっこで戦の駆け引きを覚える・・・近所の子供同士でケンカをした時などは、あらかじめ味方になりそうなのを選りすぐってお金を渡し、事前に味方につけておいてから勝負に挑んだというエピソードも残っています。

そんな当時の彼のファッションも有名ですね。
髪をお茶の道具の茶せんのように結って、ペラペラの着物の片袖を脱いで、腰には火打石や革袋をぶらさげ、近くの柿や瓜などを物色しては歩きながら食べ、立ったまま餅を食べ・・・と当時のお殿様としてはあるまじき行動の数々・・・。

しかし、その奇抜なファッションも、腰の袋には戦闘時の必需品が入れられ、荒縄で巻いた刀の柄は血で手がすべらないようにするため・・・と、その“いでたち”がいかに実戦的であったかという事もご存知の通りです。とかく、信長と言えば、最大のライバルとなった弟・信行を殺害したり、比叡山を焼き討ちして、女・子供・僧を含む3千人を殺害した・・・などという逸話が先行して、神仏をも恐れぬ「魔王」のイメージがつきまといます。

あの「鳴かぬなら・・・」のホトトギスの歌もそうですが、ドラマなどでも、たいてい信長がすき放題にやって、まわりの家臣がビクビクしてるような感じに描かれています。

しかし、別に信長は神仏を恐れないから、あるいは無心論者だから比叡山を焼き討ちしたわけではありません。
伊勢神宮石清水八幡宮に大金を寄進したり、浄土宗や禅宗といった宗教にも好意的に接しています。

その事を考えると、神仏だから・・・というのではなく、「天下を治めるにあたっての壁になる相手だから排除する」という考え方なのでしょう。

姉川の合戦で敗れた浅井・朝倉が比叡山へ逃げ込み、かくまう比叡山は「神仏には手を出せないだろう」と余裕を決めこむ・・・そのような態度が彼には許せなかったのでしょうね。
信長の考えは、宗教否定ではなく、政治と宗教は別物・・・政教分離の考え方で、現在で見ればむしろ正統です。これだけ書いただけでも、さすが!と思うでしょ!時代は信長ぞ!では・・・・