今日来て頂いたお客様、ありがとうございました!

お客様には毎日、感謝、感謝です。さて、夏に向け、新入荷をまたします。順次画像を載せていくのでお見逃し無く!みなさん、昨日のTVのif歴史書見ました・・信長が生きていたら・・・・。ちょっと、変な発想でしたね・・・見ててつまらなかったです。もっと、真相にせまり、もっともらしいifを言ってほしかったです。残念。今日は、「伊達男」です。文禄元年(1592年)3月17日、朝鮮出兵のため、全国から京都に集まっていた諸大名のうち、先発隊が九州に向けて出陣を開始しました。ご存知、豊臣秀吉による朝鮮出兵文禄の役です。朝鮮出兵の際に、その本拠地となったのは、肥前佐賀県)の唐津にあった名護屋(なごや)城・・・一旦、京都に集まった諸大名は、文禄元年(1592年)3月17日、隊列を組んで、その名護屋城に向けて出陣したのです。

彼らの勇姿を一目見ようと沿道には大勢の人だかり・・・

まず、先頭を行く一番隊は、前田利家隊・・・

加賀梅鉢紋をあしらった旗も勇ましく、鉄黒(かねぐろ)の甲冑・・・およそ2000の隊列は、加賀百万石にふさわしい威厳をかもし出しています。やがて、その隊列が終ろうとすると、その向こうには、三つ葉葵の軍旗が見えてきました。

およそ3500の軍勢の中ほどには、あの金扇の馬標(うまじるし・馬印)が、朝日に光ります。

二番隊の徳川家康隊です。

・・・と、その時。
集まった民衆から、どよめきの声があがります。

竹に雀・・・仙台笹の家紋の軍旗に、紺地に金の日の丸をあしらった幟(のぼり)を、30本ほど風になびかせながら、黒の漆(うるし)の具足で統一された兵士たち・・・その黒一色の中に、ところどころ金の装飾が光ます。

刀と脇差は、朱色に銀の装飾で統一され、馬上の武者は、それぞれ豹や虎の馬鎧(うまよろい)に、金色の半月が書かれた黒の母衣(ほろ・背後からの矢を防ぐ布製の防具)で揃え、中には、孔雀の羽根でさらに豪華に演出する者も・・・

名のある武将は九尺(2m73cm)の太刀を背負い、それを金の鎖で肩に結ぶという画期的なスタイルで登場・・・

京都の人々のド肝を抜いた、この三番隊の武将は・・・ご存知、独眼竜・伊達政宗です。

華麗を極めたこの隊列のご本人は・・・

黒羅紗(らしゃ)の地、背中に大きな金色の家紋をあしらった陣羽織は、裾にいくにつけ紅羅紗の大小の水玉模様・・・さらに、袴は黒羅紗に金モールが放射状に広がり、おりからの春の日差しにキラキラと輝く・・・

赤の錦のひれ垂に、黒漆の五枚胴・・・もちろん、兜は、細く金に光る三日月の前たて・・・
金をふんだんに使った豪華さはあれど、派手になり過ぎないセンスの良さです。

政宗の幼い頃からつちかった芸術的センスが遺憾なく発揮された見事な隊列・・・

京の人々は、「さながら動く絵巻物を見るようだ」と絶賛したと言います。

皆口々に・・・
「さすがは伊達者は違う」
「あれが、伊達者か!」
歓喜の嵐です。

オシャレな男の代名詞・伊達男(だておとこ)という言葉は、こうして生まれました。

まさに満開の桜吹雪の下、薄いピンクの花びらに、黒と金の豪華絢爛な隊列は、春の光を受けて、まばゆいばかりに輝いていたらしいです。さすが、独眼竜・・
伊達ファンにはたまらない、話ですね。