今日は暑かったですなーーーー

昨日書いた孫子は難しかったですな・・・・。では、可児市の出身の明智光秀
謀反を起こす前に読んだ句、「ときはいま・・・・」を解明してみよう・・・
おもしろい・・・やるでござるよ・・・。武田勝頼を自刃に追い込み、戦国乱世にその名を馳せた武田氏を滅ぼした織田信長・・・

その時に武田から寝返り、滅亡に一役かった穴山梅雪(ばいせつ・信君)を連れて、徳川家康が挨拶がてら安土を訪れました。

この年は、織田と徳川が同盟を結んで、ちょうど二十年目にあたる節目の年でもあり、戦国最強と言われた武田を滅ぼした事もあり、その日の酒宴は大いに盛り上がったようですが、ちょうど同じ日に信長のもとに届いたのが、中国地方への遠征担当だった・羽柴(豊臣)秀吉からの援軍要請です。この時、秀吉は備中高松を水攻めにし、信長に「毛利輝元が出陣するので・・・」と信長自身に助けを求めています。信長は、自ら出陣する準備に取り掛かると同時に、明智光秀に、その先鋒を努めるよう命令を発します。
光秀は、その日のうちに安土を発ち、坂本城へ入城・・・さらに、丹波亀山城京都府亀岡市)に入り、中国出陣の準備を始めます。

翌日には、嫡男の十五郎光慶(みつよし)ら、わずかな側近だけを伴って山道を上り愛宕山を参拝します。

愛宕神社のご本尊は勝軍地蔵・・・その名の通り、合戦に勝利をもたらしてくれる神様で、当時の武将たちから篤い信仰を受けていた神様です。そして、おみくじを何回も引くが、凶が何回も出たとされるところです。そして「愛宕百韻(あたごひゃくいん)」として有名な連歌会を催すのです。連歌会では、順番に出席者による即興の句が次々と読まれていくわけですが・・・ここで、光秀が一番に読んだのがあの有名な例の句です。

♪ときは今 あめが下知る 五月(さつき)かな♪

このあと・・・
♪水上(みなかみ)まさる 夏山♪ 行裕
♪花落つる 流れの末を せきとめて♪ 紹巴
・・・・と続き、
最後に、嫡男の光慶が
♪国々は 猶(なお)のどかなるころ♪
と、最後を締めくくる句を詠んでいます。

この時の光秀の句が、「自分が天下を盗る」=「本能寺の変を起す」という意志表明だったのではないか?と言われているわけですが、その解釈は・・・

光秀が土岐(とき)氏の出身であるとされるところから・・・

最初の
♪ときは今♪が「土岐は今」
♪あめの下知る♪が「天(あめ)の下知る」
となって、「土岐氏(の自分)が、今、天下を盗る」という意味に取れると・・・

果たして・・・
その真相は、もちろん、今も謎なわけですが・・・

この句が、本能寺の意志表明だったかどうかですよね・・・・
うーーーーーーん・・・・・・・・・例えばですが、
天下を取ろうと思うのであれば、一番の味方になってくれるであろう筒井順慶細川藤孝に根回しをせず、味方になってくれるかどうかもわからない状態で事を起こすのは無謀極まりない事だからです。

それとなく打診して、それなりの感触を得てからでないと、誰も味方にはなってくれません・・・現に、2人とも光秀側にはついていません。
こっちのほうが重要ですが、信長の息子・信忠を無視しての本能寺攻撃です。

この本能寺の時点では、すでに後継者は信忠に決まっていたわけですから、信長1人を殺害しても、信忠が、その後を継ぐだけで、光秀に天下は回ってきません。

ですから、この時、光秀が本当に天下を盗るつもりであるのならば、本能寺にいる信長と、妙覚寺にいる信忠を、同時に攻撃しなければ話になりません。

しかし、兵の数は充分にあったにも関わらず、ご存知のように、光秀は、本能寺だけに攻撃を仕掛け、信長の遺体を捜しまくり、その後、思い出したように妙覚寺の信忠の攻撃へと向かいます。

この時、光秀が本能寺の信長にかまっている間に、信忠が安土へと逃走するか、大坂で四国への出陣準備をしている弟・信孝と合流しているかすれば、もう、それで、終っていたのです。

信忠が、逃避せずに、妙覚寺から二条御所へと移動して籠城してくれたおかげで、光秀は信忠をも討つ事ができ、そこで、はじめて「天下」という話になるわけです。

信忠の自刃は、むしろ光秀にとってはラッキーで、そこに計画的な天下盗りはありません。

この日、読んだ句が、「信長を討つ」という意味にとれる内容なら、意志表明だったかも知れませんが、「天下を盗る」という意味にとれる内容なので、これは、本能寺の変の意志表示ではない?ということで。

・・・とは言え、連歌会の句が意志表示でなかったとしても、この時点で、光秀が謀反をおこしたのはまちがいなく、まっ、信長さえ・・・・ってことで本能寺を攻めたのでしょう。黒幕はいたでしょうが・・・・では、では・・・