今日は、竹中半兵衛重治、

竹中半兵衛と言えば天才軍師、信長がほしくてたまらなかった人物です。後に、秀吉の軍師となります。そんな彼の父・竹中重元は、斉藤道三の代から斉藤家に仕える美濃岩手城の城主でした。

しかし、少年の頃の半兵衛は、武士とは思えないひきこもり派。
おとなしくて、無口で、物静かで・・・一日中、本を読みふけり、何か言われても、あまり反応もしない・・・。しかも、性格がおおざっぱなので、細かい事にもこだわらず、怒りをあらわにする事もほとんどないため、城兵たちからはボンクラ扱い、主君の斉藤龍興(たつおき)からは、そのナヨっとした仕草から「おかま」と馬鹿にされ、龍興の家臣たちからも、いじめのターゲットにされていました。なのに、それでも反論一つしない・・・そんな少年だったのです。

しかし、彼が、ず〜と読みふけっているその本は、まぎれもなく兵法書・・・そう、彼は中国の軍書を読みまくり、頭の中で戦略のシュミレーションを考えるが大好きだったのです。

でも、その事は、まだ、誰も知りませんでした。

彼が13歳のある日、父の留守中に、野武士の一団が、城に攻め寄せた事がありましたが、日頃のシュミレーション通りに事を運び、見事に退散させた半兵衛・・・。

しかし、その報告を受けた父でさえ、半兵衛の「別に・・・たいした事なかったよ」という返答に、その野武士たちがアホ揃いで、かってに帰って行ったと勘違いしたくらいだったのです
ところが、そんな半兵衛の堪忍袋の緒が切れる時がやってきます。

それは、半兵衛19歳の時・・・公用で稲葉山城に出仕した帰り道。

稲葉山の麓の道を歩いていると、山の中腹の櫓(やぐら)から、例のごとく、龍興の家臣たちのからかいの声が・・・「アホ〜、バ〜カ」と聞こえてきます。

いつものように、知らんぷりしていたところ、そのうちの一人が、上から半兵衛めがけてオシッコを引っ掛けたのです。

それが、見事命中し、雨のように半兵衛に降りそそぎます。

それでも、知らんぷりして、さりげなく、その場を去った彼でしたが、居城に戻って、早速、嫁さんの父・安藤定治に、「兵を貸してくれないか?」と頼みに行きます。

そう、彼は、すでに、ブチ切れていたのです。
あくまでも、静かにブチ切れる人物。事の成り行きを聞いた定治は、「気持ちはわかるけど、相手は主君・・・我々の兵を総動員したところで、稲葉山城の兵の数には到底およばない。
ムリムリ・・・バカな事は考えないで、ここは我慢しておけ!」と、半兵衛を諭します。

たぶん、すでに、ここで、一発目の彼の戦略シュミレーションは出来上がっていたのでしょうが、兵を貸してもらえないのなら、作戦変更・・・今度は、稲葉山城に人質扱いで暮らしている弟の久作重矩(しげのり)を使う作戦に出ます。

まずは、その久作に仮病を使わせます。

そして、「良い治療と看護を受けさせるため」と称して、数人の家臣と人夫を、医療用具の入った長持などの荷物とともに城内に入り込ませます。

次に、自分が、「見舞い」と称して、またまた数人の家臣とともに城内へ・・・

弟の部屋に着いたがはやいか、すぐに武装します。
もちろん、長持ちに入っていたのは、医療用具などではなく武器・・・と、準備が整ったところで、一斉に城内に斬りこみ、慌てふためく城兵を、バッタバッタと斬りまくり!

不意を突かれた城内は、まさに、上を下への大騒ぎ・・・もう、どうする事もできません。
そのうち、侍大将の斉藤飛騨守(オシッコをかけた張本人との話も・・・)も斬られた事で、龍興は、気が動転してしまい、あわてて命からがら城外へ敗走してしまいます。

なんと半兵衛は、たった16名で、あの稲葉山城を占拠してしまったのです。

織田信長が欲しくて欲しくてたまらないのに、8年間も落とせなかったあの稲葉山城をですよ!・・・て、確か、この3年後に信長が攻略した時、稲葉山城を居城にしていたのは龍興・・・半兵衛じゃないんですよね・・・・。
そうなんです・・・。一旦ここで、稲葉山城を乗っ取った半兵衛・・・後に、数々の非を認めて謝罪した龍興に、すんなりとお城を返しているんです・しかし、稲葉山城を手に入れなくても、半兵衛はもっとスゴイ物を手に入れました。

それは、「コイツは、只者ではない」という周囲の目・・・そして、稲葉山城を手に入れた信長は、今度は半兵衛が欲しくてたまらないようになるのです。

その後、信長の命を受けた秀吉が、半兵衛を味方につけようと奔走します・・では、今日はこんなところで。