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みなさん、賤ヶ岳の戦いの7本槍、聞いたことありますよね、実は9人いたんですよ・・・。、福島正則加藤清正加藤嘉明(よしあき)・片桐且元(かつもと)・脇坂安治(やすはる)・平野長泰(ながやす)・糟屋助右衛門尉(かすやすけえもんのじょう)・桜井佐吉石河兵助の9人です。でもなぜ?そもそも七本槍が最初に登場するのは、小瀬甫庵(おぜほあん)の『太閤記』で、ここでは桜井と石河を除く七人が七本槍として登場します・・・つまり、ここで人数は7人だったわけです。もともと「○○の七本槍」というくくりに関しては、織田信秀今川義元が戦った小豆坂(あずきざか)の合戦で、勇猛果敢に活躍した織田方の七人を「小豆坂の七本槍」と呼んだのがはじまりだそうで、その後も「姉川七本槍」などもあったわけですが、やはり、聞いてわかる通り、なんとなく響きがよくカッコイイ!それで、『太閤記』を書くに当たって、甫庵さんが、何かの史料をもとに、かの7人を選んで書き記したところ、これが評判となって、賤ヶ岳の合戦と言えば、『賤ヶ岳の七本槍』というのが定着しちゃったということです。二人を外した理由は、判断基準にも様々な推理がされていますが、最も言われているのは、七本槍の7人は、いわゆる秀吉の直臣・・・しかし、桜井と石河は、弟の家臣だったり養子の家臣だったりするので、この二人を外したということらしいです。まっ、こんなところで、ではでは・・・・・。